2013年9月6日金曜日

『とんでもねえ野郎』、杉浦日向子、ちくま文庫、1995年

  


杉浦日向子の『百物語』は文句なしに面白かった!
ので、このマンガも手にとってみた。

まあ、特にあれこれ言うことないです。
面白かったです。

どんな時代でも、こういう男がいると安心するね。
杉浦日向子の他の江戸ものを読んでみたいね。

このマンガも職場近所の町立図書館にあったんだよなあ。
素晴らしいです。

2013年9月3日火曜日

『猫楠 南方熊楠の生涯』、水木しげる、角川文庫ソフィア、初出1991-92年

水木しげるによる南方熊楠の生涯のマンガ化。





  



巻末には水木しげると中沢新一の対談、
他に荒俣宏と中沢新一の解説文も収録。
まさに変態の競演。

当時の水木しげるは『ゲゲゲの女房』のブレイク前。
老いても作風を曲げずにこういう作品を書いてたのは心強い。
やはり続けることは大事。

昨日の丸尾末広と同じく、
この本も勤務先の近所の町立図書館に置いてあった。
公共図書館の素晴らしさはこういうところにある。


以下、荒俣宏の「解題」より。

『猫楠』とは、これまたなんとすばらしい迫り方だっただろうか。熊という語は、あまりにも民俗学的な意味を担いすぎていて、熊楠自身、ときには気楽に生きたいと思うこともあったろう。ハメが外れたときのクマグス、そこに彼の人格の愛らしさ、おかしさがあった。それを「猫楠」なるタイトルに象徴させたところなどは、まことに心憎い構成である。

 また、そのすてきな題名と同時に水木さんが選び出したのが、リテレートなる心躍るキーワードだった。日本では久しく聞かなかったこの語は、<民間学者>をあらわし、<文士>を意味する。それもただの学士や文士ではない。飯の心配にわずらうことなく、学に遊び、しかも人に敬愛の上を抱かせずにおかぬ者。これならば、ややもすると独善の匂いをただよわすエキセントリックなる語よりも、ずっと熊楠の本質を衝いている。もちろん、理と識の妖怪は世界の諸相を理解するのではない。はじめから知っている(リテレート)のだ。これぞ<脳力(リテレート)>と断じてよい。ミズキさんが描いたのは、そういう妖怪のなつかしい生涯なのである。

この「リテレート」は、「ディレッタント」とか、
フランス啓蒙時代の「フィロゾーフ」と比べてみたいキーワードでもある。
以後の課題。



『パノラマ島奇譚』、丸尾末広、原作江戸川乱歩、2008年


今更だけど、漫画家としての丸尾末広は初体験。
    






















出版社がエンターブレイン、コミックビームから出てるってのも納得。
2007年~連載、2008年出版というのもすごい。
そしてこの本が勤務先の町立図書館においてあるというのもすごい。
佳作です。